
北前舟の寄港地として栄えた歴史を感じさせる、趣き深い建物が建ち並ぶなか、美保館さんの旧館のなかをガラス戸越しに覗くと、伝統的な和風旅館のエントランスの奥が和風建築らしからぬ「妙な」明るさです。
セオリーどおりに考えると、これだけの奥行きのある建物の、あの奥まった位置には自然光は届かないはずなのにと、思わず前のめりになってもう一歩近づいたら、入口脇には、見透かされたかのように「建物見学も可」の看板が立っています。誘われるまま戸を開けて、中へ入ると・・・

どうやらホールの上は吹き抜けのようです。受付を済ませてスリッパに履き替え、案内にしたがって右手の階段を上がります。

ここは元々は屋根のない石貼りの床の中庭で、昭和初期にガラス屋根を架け床を木製として、室内へ転用したのだそうです。天窓や高窓の光を吹き抜けを経由して1階に届ける手法は私もよく用いるのですが、それにしては明るすぎるぞと奥へ進んで見つけた明るさの正体はなんと、「屋根全面がガラスだから」でした。
細部を見ると瓦屋根の軒先はガラス屋根よりも室内側にあって、雨どいも完備(!)されています。
つまり、この吹き抜け上部では、屋根で受けた雨水の一部を室内に一度取り込んでから、室内に備えた雨樋で受けて排水するという、なんとも豪快な雨仕舞いになっています。
以前イタリアにて、中世の石造りの建物にガラスや鉄骨製の屋根を架け、社屋や公共施設へ転用した例を見て回ったことがあるのですが、これほどまでの大胆さには出会えませんでした。


もはやお会いすることは叶わないのですが、もしも当時の建築主(大旦那)さんにお目にかかれたとすれば、おそらくこんな風にさらっと言われそうな、遊び心の詰まった屋根と、その他各所の造作でした。これから私が設計する住宅のリビングに雨樋が走ることはおそらくないでしょうが(たぶん)、すごいものを見せてもらったなあと、衝撃の余韻に浸りながら境港に戻りました。
昭和初期に山陰の地でのこの大胆さ・・・美保関、恐るべしです。しかしガラス屋根と木製床を設える前の「中庭の時代」もここはきっと、素敵な空間だったのでしょうねえ。