「私家版 家づくりガイド」その1(地震に強い家)

地震に強い家について考えるその前に、まずは地震の揺れによって建物がどのような挙動を示すのか、(独)防災科学研究所 兵庫耐震工学研究センター(兵庫県三木市)での実験映像を御覧ください。


この映像には明石市に建っていた、二世代前の耐震基準の住宅と、同じ住宅に現行基準の補強をおこなったものとを並べて、三次元震動実験をおこなった様子がおさめられています。入力地震波は1995年の阪神淡路大震災、JR鷹取駅にて計測されたものが再現されています。


こちらは実験と同じものをCGにて再現しています。(独)建築研究所開発のフリーソフト、wallstatによるものです。

映像・CGから、くりかえしの横揺れ縦揺れにより、

・建物(壁・柱)が傾き、・壁がこわれ接合部が外れて次第に傾斜角が大きくなり、
・屋根や2階の床などの上部構造を支えきれなくなって倒壊に至る、

一連のメカニズムを見ることができます。このことを踏まえて、どのようにすれば建物の倒壊を防げるかを考えてみると、

一定の傾斜角を超えると上部構造を支えきれなくなって倒壊に至るということは、裏返せば、地震の揺れに対して建物(壁・柱)が一定以上傾かないようにすることが倒壊防止の最優先事項である、との答えにたどり着きます。

木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造の違いを問わず、住宅程度の規模の耐震構造の考え方に共通する肝の部分はまさにそこにあって、地域と地盤の種類、建物の構造と重量、規模により、その建物に必要な、一定以上傾かないための構造強度とバランスが建築基準法にて定められています(日本住宅性能表示基準の「構造の安定」での等級1~3の違いは、想定する地震力の違いをあらわしています)。

強度とバランスについてもうすこしだけ具体的に書くと、必要な強度とは、骨組みが有する壁の質と量、もしくは変形(傾斜)に耐えられるだけの骨組み自体(≒接合部)の強さのことで、バランスとは、どの方向から揺れても同じ強度を保つためのそれらの配置のことをさしています。大掴みに言えば、高さを抑えた軽い構造で、強度とバランスのすぐれているものほど、地震に強い家だと言えるでしょう。

が、この考えがエスカレートして瓦屋根や塗り壁は住宅に使用するべきではないと口を滑らせてしまうのはあわて者の極論、もしくは(たいていの場合は)セールストークです。

相対的には重いにせよ、それは計画上、適正な範囲内である(絶対的な重さではない)ということを念のために申し添えておきます。建築物全体の各種構造のなかでは木造は、「軽い建物」としてグループ分けされます。

また、近年の取り組みとして、建物の揺れを構造体のなかで吸収して弱めてしまう制振構造や、地盤と建物とを切り離し、間に挟んだ緩衝材で地震の揺れを吸収して弱めてしまう免震構造などの研究が進んでいます。

住宅の構造体に使える製品も目にするようになりましたが、位置づけとしては食べ物に例えるならば主食に対してのサプリメントのように、建物の耐震性に本来必要な強度を補うためものです。自然の食べ物から栄養を摂ることが人間の身体に大切なように、新築や改修を問わず、プランニングの初期段階から構造と意匠と使い勝手とをバランスよく計画してゆくことが建物の「身体」には大切で、それら個別の具体例に応じた設計・施工におけるコーディネートの質が、その家の地震などに対するほんとうの強さをあらわしているのだと言えます。

次回、その2(夏涼しく冬暖かい家)に続きます。

「私家版 家づくりガイド」その0

家づくりのアンケート調査の回答のなか、建物で重視したいポイントとして、必ずこの二つが上位を占めます。それは、

耐震性と断熱性、毎回おなじです。快適な室内環境で省エネ、そして地震にも安全だ、ということは、住宅に求められる基本性能です。

耐震性能については1995年の阪神淡路大震災を契機に法令の整備が格段に進み、断熱性能は室蘭工業大学の鎌田先生が高断熱高気密住宅を提唱され、松井修三さんの著書「いい家がほしい」が注目された2000年前後のところで、家づくりの一般的なトピックとなった印象です。以降、さまざまな材料や工法が開発、提案、紹介されて現在に至っています。

仕様についての国内の統一された基準として、同じく2000年に制定された「日本住宅性能表示基準」には、これらのふたつを含めた10項目の基準が定められています。現在では建築基準法の上位概念として長期優良住宅、フラット35、エコポイント、バリアフリー改修助成工事そして低炭素住宅などの仕様の認定基準にもなっています。

公による統一基準ができてくれたおかげで、ウチが一番で他はダメですよと根拠も無く叫ぶ、前時代的な「困ったひと」は激減したようです。

情報ならばいかようにも入手できそうな昨今ですが、「工法や仕様など、家づくりにおいて、いったいどんな選択肢があって、それぞれにどんな長所短所があるのかよくわからない」といったお話は、ご相談を受けるなかでよく伺います。たしかに市販の解説書やマニュアルは、不必要に詳細すぎる面があるようです。

ならば特定のメーカーや材料・工法に利害関係をもたない文系出身のCM建築士として、これらの概要を掴める、専門用語を使わない家づくりのガイドマップを自分で作ってしまおうと大胆にも思い至りました。

項目を以下のように絞りました。全部で10あります。

1:地震につよい家
2:夏涼しく冬暖かい家
3:長持ちする家
4:火災に強い家
5:シックハウス
6:音とニオイ
7:バリアフリー
8:防犯性能
9:スマートハウス
10:コストパフォーマンス

これらをもとにして以降、数回に分けて書いてみます。

資料請求いただくと…..


今回は、資料請求いただいたときにお送りしている資料のご紹介です。



資料は、

・弊社の概要を載せたパンフレットと
・オープンシステムを解説した冊子をセットにしたもので、

解説冊子は、オープンシステム(分離発注)での家づくりが実際にどのようなもなのか、ストーリー漫画仕立てで読み進んでゆけるかたちになっています。


これから家を建てようといろいろと検討中の山田さんご夫婦が、オープンシステムで家を建てた友人の小出さん宅の新築パーティーに招かれて………

発行は、㈱イエヒトさん、制作は古事記を原典とした漫画「女神十神」で注目を浴びている、ラ・コミックさんです。


今回、あらたにホームページのメニュー覧に|資料請求|を新設しました。
ご希望のかたは、こちら(お問い合わせ) よりお申し込みください。

分離発注ってなんだろう?その5

すべての都道府県の住宅数が世帯数を上回った1973年を境にして着工件数が緩やかな減少を続けてゆくなか、耐震偽装問題で揺れた翌年の2006年、住生活基本法が制定されました。

これは1966年から続いた住宅建設5カ年計画を廃止して、フロー消費型から長期にわたって使用可能な質の高い住宅ストックを形成するよう、住宅政策の転換をおこなうものでした。

分離発注の家づくりについて、この場をお借りしてあらためて考え、これまでさまざまな方向から検証することができました。あやふやだった特徴も、いろいろ削ぎ落とすなかでいくらかは本質に近づけたかもしれません。

ただその特徴は、いまだメリットの部分しか捉えられずに、なんだか片手落ちな感じでもあります。

前回のブログで戦前からの家づくりの歴史を振り返り、それを下敷きにあらためて考えました。そうすると、分離発注についてのデメリットが見えました。

今回はそのことについて書きます。

何だと思われますか?

私に見えた、分離発注に潜在するデメリットとは、「そのメリットが従来型、一括請負のデメリットを解消するものでしかない」ことでした。わかりにくくてすみません。まわりくどいかもしれませんが、少しおつきあいください。

現実に必要な粗利益が一般の工務店さんで25%、ハウスメーカーさんではそれ以上であることはいまやインターネット経由で簡単に知ることができます。が、見積書の諸経費は10%のままである価格の二重構造が、住生活基本法で定めた「質の高い住宅ストック形成」を望むクライアントさんの不信を招くケースが出ています。つまり「不透明な価格の根拠がわからない。納得いかない。」

その「わかりにくさ」を解消すべく、二重だった外側の殻を剥ぎ取りシステムを軽量化したのが分離発注方式です、というのがこれまで挙げてきたメリットの、アナザーサイドの話です。

しかし、それらも未来永劫メリットであり続けることは決してない。戦前から戦後の動きをみるように、社会背景の変化と制度疲労(さらにいえば官僚化と腐敗)は、この後を見越して、勘定にいれておくべきでしょう。

今はまだわからないけど将来、システムの変更を社会的に要請されるほどの「何か」が分離発注そのものに構造的に含まれていること。それがメリットと釣合う、分離発注に潜在するデメリットの正体だというのが、今の私の結論です。

今あるものをよりよくしたいという思いが等しく流れるなかで、それぞれの区間を任されたその時々の最善が入れ替わりながら一本に繋がっている。およそ70年の歴史を振り返ったほどですが、住宅業界そして家づくりについて、いま私が持つイメージはそんなふうです。

最後に㈱イエヒトさんの紹介をします。分離発注方式の老舗で、鳥取県米子市にあります。

分離発注に「分離発注」という名前がつけられる前から、この手法を国内ではじめて本格的に実践し、全国で分離発注方式を実践している設計事務所をサポート業務をおこなう会社です。補償制度や分離発注専用のフラット35など、老舗ながらのサービスを揃えていらっしゃいます。

ホームページも充実していて、システムについての説明や、(ないにこしたことはありませんが)工事中または引渡し後の建物の不具合や専門工事業者・設計事務所の倒産などにも対応した補償制度についての説明が掲載されているQ&A、全国各地の完成事例など、これまでに寄せられたさまざまな問いに対応した構成・内容になっています。よろしければ、そちらもいちど御覧になってください。

「分離発注って何だろう?」はこれで終わりです。最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

分離発注って何だろう?その4

潜在する分離発注のデメリットについて、あらためて考えてみました。が、なんだか堂々巡りです。

というわけで、いままで経験したこと、知っていること、自分のキャリアを超えた昔に遡ることにしました。今回は住宅建築の歴史についてです。

調べてみると、戦前までは一括で請け負わないことがむしろ家づくりの主流であったということで、いま私たちがおこなっている分離発注をさして、「もともとはこんなふうに家はつくられていたものだ」とおっしゃる方の声を耳にしたことはあったのですが、やはりそうだったようです。

当時の家づくりは建築、ではなく普請(ふしん)と呼ばれていました。谷崎潤一郎さんの「陰影礼賛」や山田芳裕さんの「へうげもの」で目にしたくらいでよく知らなかったのですがこの言葉は、本来は住宅建築にかぎらず、公共社会基盤を地域住民でつくり維持していく事を指すのだそうです。

建築主さんは「旦那」と呼ばれ、出来高報酬制で職方を雇って普請に臨み、現場の采配は棟梁にまかせるスタイルで、まさに旦那、一大事業主な感じです。当時の住宅着工件数は資料をさがしたけれど残念ながら見つからず、直近の1946(昭和21)年で約30万戸でした。建築確認制度はまだなく、市街地建築物法にもとづく警察からの許可制だったようです。

サンフランシスコ講和条約を翌年に控えた1950(昭和25)年に建築基準法、建築士法、住宅金融公庫法が制定されています。

どうやらこのあたりで戦前の普請的な手法ではない、つまり「旦那」として工事に臨まずに注文住宅を建てたいという新しい顧客層の要望を満たすためのパッケージとして、一括請負という仕組みが産み出されたようです。

棟梁をお抱えにしなくてもよい、総額が明示されて公庫融資が可能であり、ひとつの窓口にお金を支払えば家が完成する。いまではそれがあたりまえとも思える仕組みができたのは、戦後まもなくのことだったようです。

戦後復興と都市への人口集中の無尽蔵といえるほどの住宅需要が背景にあって、生産性を向上させ規模を拡大して経済活動のなかに取り込まれて、基幹産業として成長してゆくために必要な速度をここで得なければならなかった、といった見かたもできるのでしょうか。

高度成長のなか、年間の住宅着工件数はそれから右肩上がりの増加を続けて、すべての都道府県において住宅数が世帯数を上回った23年後の1973(昭和48)年、190万戸に達したのをピークに、以降はゆるやかに減少してゆきます。そして、そこからさらに40年後の今年、1月末に報道された前年の統計は88万戸でした。

次回、これらを下敷きにしてみえてきた、分離発注方式と戦前の普請との違いと、これまで検証してきたメリットとトレードオフの関係になるはずの、分離発注に潜在するデメリットについて書きます。