Le Corbusier

職業柄、いろいろな建築物を目にする機会は多いのですが、これまで訪れたなかでもう一度行ってみたいところを挙げよと言われたら、上の写真の本「コルビジェさんのつくりたかった美術館」のモデルである国立西洋美術館には、真っ先に再訪したいです。

とはいえ東京までフラッと出掛ける事もできず(^^)、秋の夜長、本を開いて記憶を辿り(展示物は「考える人」しか思い出せないですが・・・)、想像の翼を拡げることにします。

基礎工事2

前回 の続きです。

組みあがった型枠にコンクリートを流し込みます。生コン車(写真手前)が工場から運んできたコンクリートを、いったんポンプ車(写真奥)に移して圧送します。

写真奥より、

・ポンプのノズルを操作して、所定の位置に所定量の生コンを流し込む人、
・流し込んだ生コンが型枠全体に均一にゆきわたるように、振動棒で攪拌する人、
・型枠のはらみをチェックしながら、生コンを一定高さに均す人、

の、3人が連動して、型枠内のコンクリートが満たされてゆきます。

充填完了したのち、いったんこの状態で「寝かせ」て、コンクリートの強度が所定値(50N/mm2)に達するのを待ちます。

寝かせ終わったら(今の気温だと中3日)、型枠を外して外周部に土を入れて整地をします。

もともとの地盤高さが道路よりも低く、強い雨降りのときには敷地内に雨水が流れ込んでくるほどだったようで、今回、地盤高を従来よりも約40センチ高い設計にしています。

土入れ、整地を終えて基礎工事の完了です。この上に土台、柱梁などの構造体を組み上げてゆきます。

田部美術館

3年前の夏のことです。

松江、堀川遊覧船に乗って終点が近くなったあたり、船から伝統美観地区の塩見縄手をぼんやり眺めていると、下見板、漆喰の壁と銀黒の瓦屋根が建ち並ぶ奥に、赤黒い鉄製の入母屋屋根があらわれました。

見るからに異質なのですが周囲から浮いている感じでもなく、というか馴染んでいるのに存在感があって、なんだか恐ろしく惹きつけられるというのか・・・いったいなんだこれはと船を下りて向かった先のその建物は、田部(たなべ)家23代、田部長右衛門氏が設立した「田部美術館」でした。

帰宅後調べたら、竣工が1979年、設計は菊竹清訓さんでした。

菊竹さんといえば、出雲大社庁の舎(1963)、東光園(1964)・・・・島根県立美術館(1998)など、山陰に多くの仕事を残されていますが、まさか塩見縄手に美術館を設計されていたとは、恥ずかしながらこのときまで知りませんでした。

己の無知を棚にあげれば、主要道路沿いに建ちながらも、日常生活の速度、動線、視線を避けて巧妙に姿を隠している風でもありました。

通りから門をくぐり、館内への扉をあけると、展示品の茶道具もさることながら、(私のコメントなど、おこがましいのを承知で書けば)大胆でいて緻密で繊細な、その美術館自体に圧倒されたのですが、先日再訪した際、許可をいただいて館内(展示品以外)を写真に納めて帰りましたので以下、一部ですがお裾分けしますm(_ _)m

赤黒屋根の正体は、コールテン鋼でした。

基礎工事

東福原の家は、基礎工事中です。

建物の足元部分である基礎は、普段は建物の垂直荷重、地震時や台風のときには建物の揺れ(水平荷重)を地盤にスムーズに伝達できるよう、頑強で比重も大きな鉄筋コンクリート構造とします。

上の写真のように、鉄筋を組みコンクリートを流し込む前に、まずは地均しをおこない、その上を填圧した砕石によって、「鉄筋コンクリート製の耐圧版を支える土台」を成型します。この工程を「床(とこ)付け」といいます。

その「床付け」ののち、生コン用の枠を設置して鉄筋を組んで、

給排水管の経路も、この段階で確保しておきます。

今回は、力の流れに応じて、耐圧版の鉄筋間隔を2種類に分けた設計にしています。

二年目のウッドスクリーン

先日、クライアントさん宅に別件でお邪魔した際、せっかくなのでと昨年5月に完成した、ウッドスクリーンの点検をさせてもらいました。

ベイスギを使った木製部分の、笠木の一部に色あせがみられたものの、スクリーン部分は完成時の状態そのままで、まだまだ再塗装の必要はなさそうです。

柱のアルミアングル、そして既存ブロックにひと工夫加えて転用した基礎も、よい状態でした。

目隠しの塀、というよりも、「ウチとソトの境界を示しながら緩やかに区切る」要素として、それぞれの寸法を抑え気味に設計したのですが、建物、庭木をあわせてほどよいバランスに納まったのを再確認できて、素材選定と合わせてホッとするやらうれしいやらでした。

H様、ありがとうございました。折をみてまた、様子を見に伺います。