住宅ローン市場

オープンシステム(分離発注方式)をおこなう全国の設計事務所が参加しているメーリングリストに一昨日、住宅ローン金利についてのメールが届きました。株式会社JOファイナンスサービスさんからの投稿です。一部を転記します。

・・・・・住宅金融支援機構は、「地方への好循環拡大に向けた緊急経済対策」及び平成27年2月3日に成立した平成26年度補正予算を踏まえ、平成27年2月9日以降に資金をお受取になる方から以下の制度拡充を実施します(簡単に解釈すると、金利優遇の幅を拡大するということです)。・・・・・

どうやら景気対策として、フラット35の金利が引き下げられるようです。

この10年以上、3%を割る金利が続く住宅ローン市場ですが、上記の金利優遇を踏まえた適用金利は、最も低いものは0.50%になるとのことで、念のための申し添えるとこれは変動金利ではなく、借入20年の固定金利です。ある意味「バズーカ砲」です。

それならば併せて、景気対策分を消費税非課税などとで相殺できるようにすれば、制度運営のうちの納税・還付に関する諸々の手間(=歳出)を省けるのではないのかと、かなり素朴な感想も持っていますが、こうした相殺は、コストダウンの実務と地続きのようにも感じています。

「地盤保証に依存しない地盤調査の普及」

上のタイトルは、業界紙の記事の見出しです。

見出しを目にして一瞬、地盤調査はそこまでの精度での調査ができるようになったのだと感心したのですが、いやいや待て待て、それならば現在の技術水準ではわからない不確定要素については、誰がどうやって保全するのだろうとの素朴な疑問も沸きました。昨年お願いした地盤調査のときは、そのような話は出なかったし・・・

過度に聞こえのよい言葉、または、やたらに形容詞や「!」が多い文章には注意すべしとの池澤夏樹さんの教えを守って読みすすめてみると、その内容は、保証や補強工事への「過剰な」依存を撲滅するとのことで、その普及に努める業界団体(地優連)が設立された、との記事でした。過剰な補強の撤廃に向け、あらたに判定基準を統一して、それに基づいた地盤保証をおこなうのだそうです。

戸建住宅への地盤調査が一気に普及した2000年の建築基準法改正からもうすぐ15年、地盤調査業界も日進月歩で進んでいて、それはおそらく、誠実な業務を積み重ねる他業種の大多数にも当てはまるように思います。私も精進せねば。

冬の体育館テニス

大寒をむかえて寒さもいよいよこれからの鳥取県西部ですが、仲間うちでの週一テニスは室内で継続中です。今シーズンは例年より1ヶ月早く、11月からのインドア入りでした。写真は、毎週金曜日の夜にお世話になっている米子産業体育館です。

テニスコートの表面(床面)は、ウィンブルドンの天然芝や、現在開催されている全豪オープンの塗膜など、いろいろな種類があるのですが、その違いによってボールの弾み方や弾んでからの球速にそれぞれ特徴があります。

摩擦のすくない天然芝(全英)は、滑るように伸びて球脚は速く、逆に摩擦の多い赤土(全仏)は弾んで遅く、塗膜(全米、豪)はその中間といわれていますが、今年の全豪オープンの会場は、試合時間短縮を目指して、これまでより「速い」塗膜にコート表面が塗り替えられているのだそうです。余談ですが以前読んだ本によると、フィリピンには貝殻を砕いて敷き詰めたコートがあって、デビスカップの会場として使ったこともあったそうです。弾み方はよくわからなかったのですが、夏は照り返しがキツそうですね。ちなみに米子市営東山庭球場は砂入り人工芝です。

で、「米子産業体育館コート」は、体育館なのでワックスのかかった板張りです。テニスボールの表面はフェルトで覆われていますから、打ち込まれたボールは、冬季オリンピックのスピードスケート競技がおこなわれている頃の、休憩時間での小学5年の男子のように、体育館の床を勢いよく滑ってきます(私のころはエリック・ハイデン選手がヒーローでした)。巷のテニス民の話を総合すると、このコート表面はおそらく世界最速で、「たぶんきっとウィンブルドンよりも速い」というのがいちおうの定説となっています。

しかし慣れというのは恐ろしいもので、この推定世界最速の体育館コートですが、何シーズンか続けるうちに私レベルでもなんとかラリーが続くようになって、いまでは冬のお楽しみになっています。4月からの外シーズン再開まで残り2ヶ月と少し、運動不足解消のミッションを果たすべく、引き続き楽しみながらよい汗を流してゆきたいです。

錦織選手、明日は3回戦ですね!
GO! KEI!

1月17日

今日は1月17日、20年前の1995年に阪神淡路大震災がおこった日です。個人的な話で申し訳ないのですが、20年前の今日、私が体験したことについて書かせてください。

連休を利用して学生時代の友人を訪ね、私は前日の夜から三宮にいて、この日のうちに山陰に戻る予定でした。地震発生の少し前になぜか目が覚めて、弱い揺れの後、すぐに激しい揺れを感じました。

揺れが収まるまでのあいだ、上階が崩れ落ちてくるかもしれない恐怖感に襲われながら、フライパンの上の煎り豆のように宿泊先のベッドの上をはね飛ばされるまま、何もできずにいました。外からは物が激しく壊れるときの音が聴こえていて、なにかとても大きな爆発が起こったのかもしれないとも思いました。

揺れが収まった後、気象庁の発表とエレベーターが動かないことを知らせる館内放送を聴いてから、非常階段を経由して10階から1階ロビーまで避難したのですが、どうやってロビーまでたどり着いたのか、そのあいだの記憶があやふやで、途中、余震の揺れで階段から落ちそうになったり、将棋倒しになりかけたようにも思えるのですが、あれが現実だったのか、よくわからないままです。ベッド沿いの壁に掛けてあった洋画が、落下防止の命綱の紐で壁から吊りさがって落ちてこなかったことは、何故だかとてもよく憶えています。

陽が登り明るくなって外に出ると、近くのビルは通りに向かって倒れ、もともと泊まる予定だったカプセルホテルは倒壊していました。高架の線路が崩れ落ちて、前の晩に行った中華料理のお店は、めちゃめちゃに壊れていました。ガス爆発の音と消防車と救急車のサイレンが、絶えずどこからか聞こえていました。

ラジオから最初に聞いた、亡くなられた方の数は150人で、発表のたびに増えてゆきました。眠れない夜から朝のあいだ、余震で揺れるたびにラジオから聴こえた、アナウンサーさんの「頑張りましょう」と励ましてくださった声は、後で知ったのですが、床が崩れたスタジオから、倒壊の危険と隣り合わせの放送だったそうです。

多くの方が亡くなり、怪我を負い、その後の世の中の雰囲気を変えてしまうような大きな災害に対して、私などがいったいどんなふうに関わってゆけばよいのか、20年前からずっと問われているように感じています。生きているあいだそうやってずっと問われ続けることが、私に唯一できることなのではないかとも考えています。20年はひと区切りではなくて、明日は震災から20年と一日経った日で、あさっては20年と二日です。

あらためて、震災で亡くなられた方々の御霊が安らかであられることを、深く祈ります。

鳥取民芸美術館

一級建築士の登録に鳥取市まで出掛けた折、せっかくの機会だからと、ちょっと寄り道をしてきました。上の写真、鳥取駅近くの若桜街道沿いに並ぶ瓦屋根の、いちばん左の建物が寄り道先の鳥取民芸美術館です。約2年ぶりの再訪です。

1949(昭和24)年、民芸運動家の吉田璋也氏により「鳥取民藝館」として開設され、古民芸約3500点、新民芸約1500点を収蔵し、特に李朝陶磁、高麗茶碗や吉田氏がプロデュースした新作民芸の蒐集に特徴がある美術館で、並び建つ地蔵堂、工芸店、割烹を併せた一群は、民芸コーナーともよばれています。

入口への階段を登って扉を開けて、スリッパに履き替え板の間に上がって受付を済ませ、こじんまりとした館内の1階2階を順路に沿って進むのですが、展示品だけでなく、陳列用の棚、建物自体のディテールなど、館内のそれぞれすべてに目移りして、なかなか次に進むことができません。飴色の木製階段を登って2階を巡り、奥に設えられた休憩用の木製椅子まで辿りついて腰掛けると、座り心地のよさに前回同様、しばらく時間を忘れてしまいました。

入館時にいただいた、美術館を紹介するパンフレットの一部を引用します。

「・・・・茲(ここ)に陳列してある品々は次のような事柄を語っています。非凡な天才の芸術家ばかりでなく、平凡な一介の職人でも、斯くの如く美しい物を作ることが出来たとか、贅沢な高価なものだけに高い美があるのではなく、一般民衆の実用品のなかにこそ健康な美が宿っているとか、観賞するために作られた美術工芸品だけが美しいのではなく、寧ろ用いるために造られた実用品の中にこそ真の美しさが表現されると云う事実を具体的に見ることができるのです・・・・」

芸術に明るくない身としては、「健康な美」への私の理解はきっと不完全なものなのでしょうが、そこに少しでも近づけるようなものづくりを思って寄り道を終え、境港に戻りました。

事務所のカレンダーがまだだったので、お隣の工芸店で求めました。

今年の予定を眺めたら、うまくいけば春に、もう一度訪れることができそうです。